「本当の成長は、自分で考え主体性を持って練習するときに生まれる」/ 國學院久我山 井口資仁選手

1991年の夏の甲子園に出場し、初戦で終盤に怒涛の追い上げを見せ4点差を追いつき同点とするも、延長10回の末、惜しくも敗れた國學院久我山高校。

当時、2年生ながら予選で3本塁打を記録するなどの活躍を見せ、チームの攻撃の中心を担っていなとは、井口資仁選手である。

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井口選手は、小学生から野球を始めると、中学時代までは主に捕手としてプレーし、中学3年時には全国大会出場も果たしていた。

そんな実績を持ちながらも、文武両道を掲げ、特待生制度や野球部の専用グラウンドもない、國學院久我山へ進学した。

中学時代まで、強豪チームでプレーしていた井口選手にとっては、時間が短く、限られたメニューしかこなせない学校の練習に、入学当初は、物足りなさを感じていた。

しかし、その「物足りなさ」を原動力に、先輩やチームメイトは自主練習を行っていたことから、井口選手も、自然と放課後素振りを行うようになっていった。

この自主性のスタイルでは、課題の発見や克服の仕方までを自らで行うため、思考力や観察力といった力も同時に身につき、技術の成長を後押ししていった。

迎えた、2年の夏は、3番遊撃手としてレギュラーを務め、西東京大会で3本の本塁打を放つ活躍でチームを10年ぶりの甲子園へ導いたのであった。

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