「練習の時こそ基本が大事なんです」/ 明豊 今宮健太選手

2009年の夏の甲子園で、数々の激闘を制してベスト8まで勝ち進んだ大分県の明豊高校。

当時チームの投打の柱として活躍していたのは、打っては高校通算62本塁打、投げては直球は150キロを超えるなど、超高校級の記録を残した今宮健太選手である。

明豊高校の記事はこちら。

今宮選手は、入学当時からレギュラーとして活躍すると、1年秋には5割を超える打率と九州大会優勝投手という肩書も残し、全国からも注目を集める存在になっていった。

2年の秋の新チームからは、今宮選手を筆頭に力のある選手が多数在学してこともあり優勝候補にも挙げられるようになっていた。

しかし、センバツでは周囲が実力の高さから「バケモノ」と称していた今宮選手を超える「モンスター」こと、花巻東菊池雄星選手の前に敗北を喫した。

全国トップレベルに刺激を受けた今宮選手は、「打倒花巻東」、「菊池雄星選手攻略」をスローガンに掲げて、これまで以上の厳しい練習を行っていった。

目の色を変え、死にものぐるいで練習を重ねた今宮選手は、センバツ後から夏の甲子園までの約4ヶ月で通算本塁打の半分となる32本を放ち、リベンジを誓った甲子園での花巻東戦では、自己最速で大会最速タイ記録となる154キロを記録した。

試合には敗れ、リベンジは果たせなかった今宮選手ではあったが、記録と記憶を残して甲子園を去った。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です