「自分の意志を持つことが大事」/ 開星 梶谷隆幸選手

2006年の夏の甲子園に、4年ぶりに出場を果たした島根県の開星高校。

当時のチームで、1番遊撃手として出場していたのは、高校通算93盗塁を記録する俊足好打の切り込み隊長として注目されていた、梶谷隆幸選手である。

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「いちいち監督に頼るような野球をやるな」/ 日本文理 大井道夫監督

センバツ大会では、2006年まで一度も勝利を挙げたことがなかったことから、「全国最弱」とまで称されていた新潟県勢。

そんな県の歴史を塗り替えたのが、「強打」を代名詞にチーム作りを行っていた、日本文理大井道夫前監督である。

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「自分が好きな野球を思いっきりできているのは、親からもらったこの体があるから」/ 高知 二神一人選手

2005年の夏の甲子園に、優勝チームの不祥事による出場辞退で、繰り上げというかたちで出場した、高知高校

当時チームのエースを務めていたのは、持ち球のストレートとカーブの2種類のみで、県大会で好投していた二神一人選手である。

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「何事も自分の居場所を見つけることが大事」/ 常総学院 木内幸男監督

長い高校野球の歴史で「教育の一環」というタテマエに縛られることなく指導をしてきたのは、おそらく、木内幸男監督が初めてだろう。

いずれも無名であった取手二高常総学院で指揮を執り、両校で全国制覇へ導き、春夏通算40の勝ち星を挙げた名将は、やはり独特の指導スタイルであった。

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「自分たちでできることを全員がしっかりやれば、結果はついてくる」/ 習志野 竹縄俊希選手

2019年のセンバツ大会で、チーム最高成績となる、準優勝を成し遂げた千葉県の習志野高校。

当時、チームの主将を務めていたのは、攻守にわたる活躍を見せ、プレーでもチームを引っ張っていた、竹縄俊希選手である。

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「皆に拍手される野球をやろう」/ 帝京 前田三夫監督

当時無名であった帝京を「東の横綱」と称されるまでに育て上げた名将、前田三夫監督

甲子園で3度全国制覇に、50を超える勝ち星を挙げ、プロ野球にも多数の選手を送り込んでいることから、名指導者として認知されているが、就任当初は苦難の連続であった。

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「一日一日、自分で良かったと思える練習をしていくことが大事」/ 大阪桐蔭 根尾昂選手

2018年の甲子園で、史上初の2度目の春夏連覇を成し遂げた大阪桐蔭高校。

当時、高校通算32本塁打でチームの主軸を担い、投手としても150キロを超える速球を誇り、史上初の2年連続優勝投手になるなどの活躍を見せていたのが、根尾昂選手である。

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「目に見える技術よりも、目に見えない心の中の勝負で大体決まってきます」/ 興南 我喜屋優監督

就任から4年という驚異的なスピードで、県大会すら勝ち抜けない低迷期の母校、興南春夏連覇へ導いたのが、名将、我喜屋優監督である。 

当時のチームは、かつて春夏連覇へ導いた実績を持つ横浜高校渡辺元智監督など、数々の実績を持つ指導者が大会前から認めるほどの、圧倒的な強さであった。

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「野球の神様に愛されるように全力で戦う」/ 早稲田実 清宮幸太郎選手

2016年の神宮大会準優勝を成し遂げ、翌年のセンバツでは16強進出を果たした、早稲田実業

当時チームの主将を務めていたのは、高校通算111本塁打を放ち、新記録を樹立するなどの実績を残し、大会再注目スラッガーでもあった、清宮幸太郎選手である。

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