「甲子園は勝つ空気と流れを待っていたら絶対に勝てない場所」/ 横浜 愛甲猛選手

1980年の夏の甲子園で、チーム史上初となる、全国制覇を成し遂げた、神奈川県の横浜高校

当時、チームのエースを務めていたのは、1年時から主力投手として甲子園を経験していた、愛甲猛選手である。

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「死ぬまでにいかに自分を磨き必死に成長していくか」/ 開星 野々村直通監督

勝利にこだわり続けるあまり、周囲からは、教育の一環としての指導を行うよう、批判されたこともあった、開星高校を指揮する野々村直通監督

特に、2010年のセンバツ大会で、21世紀枠の高校に敗れ、「切腹発言」をした際には、猛烈なバッシングを浴び、一時期辞任することもあった。

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「神様は反省をさせるように失敗をさせてくれる」/ PL学園 清原和博選手

1983年の夏から85年の甲子園に5季連続出場を果たし、2度全国制覇2度準優勝を成し遂げた大阪府のPL学園

当時、チームの主軸を1年から務め、大会最多の甲子園通算13本塁打を放ったのが、清原和博選手である。

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「現場で誰よりも選手を見てきた自分の感覚を信じる」/ 土浦日大 小菅勲監督

高校野球界では、名門と称されれば称されるほど、伝統やブランドといったものが重荷となり、長年甲子園から遠ざかってしまうと、立て直しは難しくなる。

しかし、茨城県の土浦日大を指揮する小菅勲監督は、30年以上全国の舞台から遠ざかっていたチームを復活させることに成功したのであった。

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「相手も同じ高校生なので、気持ちだけは負けないようにしたい」/ 千葉経大付 松本啓二朗選手

2004年の夏の甲子園で、初出場ながら強豪校を次々倒し、4強まで勝ち進んだ、千葉経大付属高校。

当時、チームのエースを務めていたのは、監督の息子であったことから、親子で全国制覇を目指す選手として注目されていた、松本啓二朗選手である。

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「選手が伸びる雰囲気をつくれば、勝つチームにつながる」/ 仙台育英 竹田利秋監督

近年、全国の舞台で上位進出し、何度も全国制覇にあと一歩の所まで迫るなど躍進を続け、優勝候補にも挙げられることの多い、東北勢

そんな東北勢が全国でも勝てるようになった背景には、東北の野球を根こそぎ変えることを目標に掲げ、東北高校仙台育英で指揮をしてきた、竹田利秋監督の存在があった。

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「負けてても最後まで投げきるっていうことに自分の思いは詰まっていた」/ 平安 川口知哉選手

1997年の甲子園に春夏連続出場し、夏の選手権では準優勝を成し遂げた、京都府の平安高校(現・龍谷大平安)

当時、チームのエースと4番、更には主将といった大役を務め、準優勝の立役者となったのは、川口知哉選手である。

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「野球は楽しまないといけない、それが原点」/ 東筑 青野浩彦監督

教育の一環として野球を教えるのではなく、野球を通して自然と選手が成長することを目指し、指導するのは、東筑高校を指揮する青野浩彦監督である。

近年の高校野球界では、人間力を育てることに力を入れる学校が多く、野球以外の日常生活の過ごし方を細かく指導したり、精神論を伝える指導者も少なくない。

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「ハンディと捉えるかメリットと考えるかは自分次第」/ 東海大甲府 郷州征宜選手

2004年、2年連続出場となった夏の甲子園で、4強進出を果たした、山梨県の東海大甲府高校。

当時、チームの代打の切り札として、甲子園の準決勝でタイムリーを放つなどの活躍を見せていたのは、郷州征宜選手である。

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