「自分の野球観を押し付けずに、どう切り替えていくかも重要」/ 拓大紅陵 小枝守監督

数々の結果を残し、日本代表監督も務めながら、「高校野球は人間教育の場」という、自身の信念をブレることなく貫き指導を続けていたのは、日大三高拓大紅陵を指揮した、小枝守監督である。

1992年に、当時では異例の、複数の投手起用甲子園準優勝へと導き、名監督という肩書きを背負って以降も、結果以上に拘ったのは、選手たちの成長であった。

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「甲子園だけが人生のすべてではない」/ 広陵 上本博紀選手

2003年のセンバツ大会で、3度目の全国制覇を成し遂げた、広島県の広陵高校。

当時、2年生ながら先頭打者を務めていたのは、大会個人安打2位タイ記録となる、12安打を放つ活躍で、チームの優勝に貢献した、上本博紀選手である。

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「仲間から信頼されていないから結果が出ない」/ 東海大菅生 若林弘泰監督

野球のエリートコースを歩み、引退後は苦労の道を進むといった、栄光や挫折などの様々な経験から、人間性を重視して指導するのは、東海大菅生を指揮する若林弘泰監督である。

若林監督は、学生から社会人野球までを名門で過ごす、アマチュア野球界の王道を経験し、プロ入も果たしたが、故障に泣き、僅か6年で引退することとなった。

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「『姿』に『勢い』と書いて『姿勢』、良い姿をしていなければ、勢いは生まれない」/ 京都成章 澤井芳信選手

1998年の甲子園に春夏連続出場を果たし、夏の甲子園では準優勝を成し遂げた、京都成章高校。

当時、チームの主将を務めていたのは、1番遊撃手としてプレーでもチームを支えていた、澤井芳信選手である。

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「昔ながらの練習にも意味はある」/ 済美 中矢太監督

かつて上甲正典監督の指揮の元、創部3年で、センバツ高校野球に初出場初優勝を成し遂げ、衝撃デビューを果たした愛媛県の済美高校は、不祥事をきっかけに、低迷期を経験した。

体外試合禁止や公式戦出場停止など、厳しい処分を受け、人気も低迷し、入部希望者も減少し、大会でも勝てないという悪循環が続いていた。

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「練習を積んで1点、1球の重みを感じプレーすれば、秋田の子たちでも勝てる」/ 金足農業 水沢博文選手

1984年の甲子園に春夏連続出場を果たし、夏の甲子では、4強まで勝ち進んだ、秋田県の金足農業高校。

当時、チームのエースを務めていたのは、ストレートとカーブを軸に、打たせてとるスタイルを持ち味としていた、水沢博文選手である。

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「選手の優れた部分を最大限に引き出して、そこからどうやってチームにまとめ上げていくか」/ 横浜 平田徹監督

春夏合わせて5度の甲子園優勝へと導くなど、数々の記録を残し、スター選手も育て上げた、名将、渡辺元智監督の後を継いだ、平田徹監督

周囲からの期待とプレッシャーがかかる中での就任となったが、監督期間の4年間では、全てのチームを甲子園へ導き、夏の県大会では3連覇を成し遂げるなど、結果を出し続けていた。

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「野球の勝敗は先の読み合いで決まります」/ 大府 赤星憲広選手

1994年のセンバツ大会に、2年連続東海地区の代表として出場した、愛知県の大府高校

当時、チームの1番打者として、2年連続の甲子園出場に大きく貢献したのが、赤星憲広選手である。

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「みんな、優等生になろうとしなくていいんです」/ 智弁和歌山 中谷仁監督

かつて、智弁和歌山主将として、チームを夏の甲子園初優勝へと導いた中谷仁氏は、現在、母校の監督に就任し、自身2度目の全国制覇を目指している。

中谷監督は、恩師でもあり、甲子園史上最多の勝ち星を挙げている名将でもある、高嶋仁監督の後継者となったことから、周囲から期待とプレッシャーを受けながらの就任となった。

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