春夏合わせて5度の全国制覇へ導き、51の勝ち星を甲子園で挙げた横浜高校の渡辺元智前監督。
数々の実績とともに、多くのスター選手を育て上げた名将の指導スタイルは、試行錯誤の連続であった。
選手時代に実績もなく、24歳の若さで監督に就任した渡辺監督は、右も左も分からないスタートであり、とにかく結果だけを求め、ガムシャラに選手たちと汗を流していた。
「甲子園」や「全国制覇」を口にする度、周囲から笑われたり批判される状態ではあったが、練習量が必ず味方になると信じ、車のライトを使用して深夜まで練習を行うことも珍しくなかった。
それでも、有望な中学生の選手がいれば監督自らスカウトに出向いたり、自宅から通えない選手を新婚間もない自宅に泊めて付きっきりで世話をしたり、真剣に選手たちと向き合うことで、信頼と結果が生まれるようになってきた。
そんな渡辺監督の努力が身を結び、初出場となったセンバツで初優勝を成し遂げると、能力の高い選手が入部するようになり、周囲の評価も変わるようになっていった。
しかし、世間に認知されたことでマークされることも増え、練習量だけでは、簡単に結果が出せなくなっていった。
そこで、選手たちの野球の技術を伸ばすことだけに力を入れるのではなく、選手たちとの過ごす時間やコミュニケーショを取ることにも力を入れ始めた。
教員免許を取得して教壇に立ったり、携帯が普及し始めた頃には、選手たちとメールで言葉を交わすなど、一方通行ではなく対話を重視するようになったことで、再び結果が残せるようになっていった。
約半世紀にも及ぶ高校野球の指導で、アプローチの仕方は何度も変えたものの、一度もブレることなく選手たちを信じ続けたからこそ、渡辺監督は、多くの結果を残せたのだろう。
「「『この子をよくしよう』という情熱を持って指導すれば、必ず成長してくれます」/ 横浜 渡辺元智監督」への1件のフィードバック