「自分で名乗り出た選手の方が責任感も強くなります」/ 明豊 川崎絢平監督

九州勢を引っ張る存在となった大分県の明豊高校は、川崎絢平監督の指導が加わったことで、更なる成長を遂げている。

初出場後、投打に安定した野球で、甲子園常連校になりつつあったチームは、選手時代に名門、智弁和歌山全国制覇を経験した川崎監督が就任したことで、野球が強化されたのだ。

“「自分で名乗り出た選手の方が責任感も強くなります」/ 明豊 川崎絢平監督” の続きを読む

「これが大事というのはなく、全部大事と考える」/ 広陵 福田周平選手

2010年の甲子園に春夏連続出場し、センバツでは4強進出を果たした、広島県の広陵高校。

当時、チームの主将を務めていたのは、主に1番二塁手として出場し、攻守にわたる活躍でチームを引っ張っていた福田周平選手である。

“「これが大事というのはなく、全部大事と考える」/ 広陵 福田周平選手” の続きを読む

「野球はDoではなくPlay」/ 習志野 小林徹監督

毎試合ごとに采配が変われば、選手起用も変わるなど、変幻自在に指揮を執るスタイルで、母校の習志野を率いている小林徹監督

継投やサインプレーなど、記録に残らないケースは多いが、勝負の明暗を分ける大事な場面で、作戦を的中させ、一気に試合の流れを変える采配は、名将と称される監督ですら、リスペクトするほどだ。

“「野球はDoではなくPlay」/ 習志野 小林徹監督” の続きを読む

「みんながいてくれたからこそ今の自分がある」/ 明桜 二木健選手

2009年の夏、13年ぶりに出場した甲子園の初戦で、延長12回の末、惜しくも敗れた秋田県の明桜高校。

当時、チームのエースを務めていたのは、秋田県予選、全試合663球を投げ抜き、チームを甲子園へ導く立役者となった二木健選手である。

“「みんながいてくれたからこそ今の自分がある」/ 明桜 二木健選手” の続きを読む

「失敗してダメになった人より、成功してダメになった人の方が多い」/ 高松商業 長尾健司監督

2015年の神宮大会優勝に、翌年のセンバツ準優勝など、20年以上甲子園から遠ざかり低迷していた名門、高松商業を復活へ導いた、長尾健司監督

中学野球の指導者時代にも、平日の練習時間1時間という限られた環境で県大会優勝へ導くなど、選手たちの挑戦意欲能力引き出すスタイルで、チーム作りを行っている。

“「失敗してダメになった人より、成功してダメになった人の方が多い」/ 高松商業 長尾健司監督” の続きを読む

「人のためだと思えば、自分の壁を超えられる」/ 北海 鍵谷陽平選手

2008年の夏、低迷期を乗り越え、9年間遠ざかっていた甲子園に帰ってきた、北の名門、北海高校

当時、チーム復活の立役者となったのは、  最速146キロのストレートを武器に、南北海道大会をほぼ一人で投げ抜いたエースの鍵谷陽平選手である。

“「人のためだと思えば、自分の壁を超えられる」/ 北海 鍵谷陽平選手” の続きを読む

「一対一なら負けるけど、束になれば倒せないはずはない」/ 佐賀北 百崎敏克監督

2007年の夏の甲子園で、百崎敏克監督率いる佐賀北高校は、「チーム力があれば全国制覇を成し遂げられる」ということを証明した。

当時の佐賀北は、甲子園未勝利ということもあり、初戦突破が合言葉で、百崎監督含め、誰も日本一など予想していなかった。

“「一対一なら負けるけど、束になれば倒せないはずはない」/ 佐賀北 百崎敏克監督” の続きを読む

「今日できなかったことをその日のうちに実行することが、成長するために大切なこと」/ 桐生第一 藤岡貴裕選手

2006年の夏の甲子園で16強進出を果した、群馬県の桐生第一高校。

当時、チームの控え野手として甲子園を経験し、翌年のセンバツではマウンドにも立ったのが、藤岡貴裕選手である。

“「今日できなかったことをその日のうちに実行することが、成長するために大切なこと」/ 桐生第一 藤岡貴裕選手” の続きを読む

「技術を上げるには同じことの繰り返しを、いかに高い意識を持って取り組めるか」/ 享栄 大藤敏行監督

母校、中京大中京を全国最多の春夏合わせて11度目の全国制覇へ導いた、大藤敏行監督は現在、2000年のセンバツを最後に甲子園から遠ざかっている享栄を指揮している。

県内のライバル校への移籍、享栄史上初のOB以外の監督として話題を集め、その手腕は全国から注目を集めている。

“「技術を上げるには同じことの繰り返しを、いかに高い意識を持って取り組めるか」/ 享栄 大藤敏行監督” の続きを読む