「完全試合はチームの記録」/ 作新学院 江川卓選手

1973年の甲子園に、春夏連続で出場を果たし、その後行われた国体では準優勝を成し遂げた、栃木県の作新学院

当時、チームのエースを務めいていたのは、数々の驚異的な記録を残し、歴代最高投手の呼び声高い、江川卓選手である。

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「自分が調子が悪い、苦しい、ダメな時にどれだけ力を発揮できるか」/ 北海 平川敦監督

教育と勝利という両方の目的を指導の根本とし、伝統のある名門の新しい歴史を作り続けている、北海高校平川敦監督

1998年に母校の指揮を託され、翌年には甲子園出場を果たすも、以降は黄金時代を築きつつあった駒大苫小牧の壁に阻まれ、甲子園だけでなく、道内を勝ち抜くことすら厳しい状態に直面した。

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「高校野球では一生分の経験をしたと思っています」/ 鹿児島実 定岡正二選手

1974年の夏の甲子園の準々決勝で、延長15回にも及ぶ死闘を制し、県勢初の4強進出を果たした、鹿児島実業高校。

当時、チームのエースを務めていたのは、甲子園で2試合連続完封を成し遂げるなどの活躍を見せていた、定岡正二選手である。

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「自分の経験を語れる人間になってほしい」/ 神戸国際大付 青木尚龍監督

野球の技術だけでなく、教育の一環であることから、人間性や生活態度、マナーなども重視される高校野球界において、その両方を急速に成長させ、近年力をつけているのが、神戸国際大付属高校である。

そんな神戸国際大付属の成長の裏には、チームカラーを把握し、選手たちの考え方に理解を示す、OBの青木尚龍監督の指導があった。

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「甲子園は自分だけのことじゃない」/ 帝京 吉岡雄ニ選手

1989年の、平成最初の夏の甲子園となった大会で、全国制覇を成し遂げた東東京代表の帝京高校。

当時、チームのエースを務めていたのは、甲子園での2本を含む高校通算56本塁打を放つなど、打者としても活躍していた、吉岡雄二選手である。

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「アクシデントをどう切り抜けていくかというのもチームの力」/ 敦賀気比 東哲平監督

母校の敦賀気比を指揮する東哲平監督は、自身の現役時代の失敗と後悔があったからこそ、北陸勢初の全国制覇へ導くことができたのであった。

東監督は、高校時代には、2年時から甲子園を経験し、チームでも1.2を争う好打者であったことから、当時の監督から「打撃の天才」と称されていた。

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「支える立場の人がいないと、野球はできない」/ 東邦 坂本佳一選手

1977年の夏の甲子園で、下馬評を覆す快進撃を見せ、準優勝を成し遂げた愛知県の東邦高校

当時、1年生ながらチームの主軸投手を務めていのは、ファンから「バンビ」と称され多くの注目を集めていた、坂本佳一選手である。

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「負けた側のことを思える選手になりなさい」/ 近江 多賀章仁監督

滋賀県勢の悲願である、全国制覇に最も近いと称される近江高校を、30年以上に渡って指導し続けている多賀章仁監督

そんな多賀監督は、「野球に集中できる環境をととのえる」という独自の指導目標を掲げながらも、甲子園の県勢最高成績となる準優勝を筆頭に、幾度も好成績を残し続けているのだ。

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「普段の練習以上のことをやろうとすると失敗する」/ 日大三 近藤一樹選手

2001年の夏の甲子園で、当時の甲子園チーム打率の記録を更新する.427を残し、全国制覇を成し遂げた、日大三高

そんなチームでエースとして、守りの面を支え、優勝に大きく貢献したのが、近藤一樹選手である。

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