1999年の甲子園に、センバツは19年ぶり、夏は12年ぶりで春夏連続出場し、共にベスト16入りを果たした、静岡高校。
当時、チームのエースを務めていたのは、夏の甲子園の初戦で、金属バット導入後の最多となる17奪三振を記録した、高木康成選手である。
“「劣勢な時や思い通りに行かない時、どう行動をとるかで真価が問われる」/ 静岡 高木康成選手” の続きを読む1999年の甲子園に、センバツは19年ぶり、夏は12年ぶりで春夏連続出場し、共にベスト16入りを果たした、静岡高校。
当時、チームのエースを務めていたのは、夏の甲子園の初戦で、金属バット導入後の最多となる17奪三振を記録した、高木康成選手である。
“「劣勢な時や思い通りに行かない時、どう行動をとるかで真価が問われる」/ 静岡 高木康成選手” の続きを読む「結果」以上に、「選手」を大切にする指導スタイルで、低迷しつつあった名門、静岡高校を復活させたのは、栗林俊輔監督である。
栗林監督が就任した際の静岡高校は、地区の私学勢の躍進もあり、力のある選手が在籍していながら、甲子園の切符が遠い状態が続いており、OBやファンからは再建を託されていた。
“「甲子園に出場したことで満足している選手はいらない」/ 静岡 栗林俊輔監督” の続きを読む2015年の甲子園に春夏連続で出場し、16年ぶりの出場となったセンバツでは、チーム最高成績に並ぶ、8強まで進出した静岡高校。
当時チームの打線の中軸を担い、3季節連続の甲子園出場に大きく貢献していたのが、正捕手を務めていた、堀内謙伍選手である。
“「自分が足りないと思ったことは、自分で考えて練習する」/ 静岡 堀内謙伍選手” の続きを読む1896年の創部後、春夏合わせて40回を超える甲子園出場を記録し、1926年には全国制覇を成し遂げている、静岡高校。
そんな伝統と実績を持つ名門を、2008年から指揮しているのは、静岡県内の複数の高校で監督を務めていた経験を持つ、栗林俊輔監督である。
“「勝負のときは、長所でどれだけ相手と戦えるかにかかってきます」/ 静岡 栗林俊輔監督” の続きを読む