2006年の夏の甲子園で、決勝戦引き分け再試合の末敗れるも堂々の準優勝を果たした、北海道の駒大苫小牧高校。
当時、チームのエースを務めていたのは、前年の夏の甲子園でチーム最長イニングを投げ、優勝(連覇)に貢献するなどの成績を残し、「世代最強」として注目されていた田中将大選手である。
“「自分が上達していける環境に身を置くこと」/ 駒大苫小牧 田中将大選手” の続きを読む2006年の夏の甲子園で、決勝戦引き分け再試合の末敗れるも堂々の準優勝を果たした、北海道の駒大苫小牧高校。
当時、チームのエースを務めていたのは、前年の夏の甲子園でチーム最長イニングを投げ、優勝(連覇)に貢献するなどの成績を残し、「世代最強」として注目されていた田中将大選手である。
“「自分が上達していける環境に身を置くこと」/ 駒大苫小牧 田中将大選手” の続きを読む春夏合わせて10回を超える甲子園出場を誇り、県や地区大会では毎年優勝候補に挙げられる、島根県の開星高校。
チームの1988年の創部当時から2011年まで指揮していたのが、野々村直通監督である。
“「練習試合は『いい勉強にしようや』ではいかん」/ 開星 野々村直通監督” の続きを読む2005年の夏の甲子園で、優勝候補の筆頭として注目を集めて、4強まで勝ち進んだ大阪桐蔭高校。
そんなチームを務めていたのが、大会ナンバー1サウスポーとして注目を集めていた、辻内崇伸選手である。
“「最高のパフォーマンスをするには『負けたら』ではなく、『絶対勝つ』と思うこと」/ 大阪桐蔭 辻内崇伸選手” の続きを読む昭和13年の初出場後、春夏合わせて20回を超える甲子園出場を記録してる徳島県の伝統校、鳴門高校。
そんなチームを平成19年から指揮しているのは、選手時代に主将も務めていたOBの森脇稔監督である。
“「決して自分たちの力だけで甲子園に出場できる訳ではない」/ 鳴門 森脇稔監督” の続きを読む2018年の夏の甲子園で、チームの歴史を塗り替える夏の初勝利を挙げた、岡山県の創志学園高校。
当時2年生ながらチームのエースを務めていたのは、気迫あふれる「ガッツポーズ」で注目を集めた、西純矢選手である。
“「大事な場面でこそ気持ちのコントロールが大事」/ 創志学園 西純矢選手” の続きを読む1994年の夏の甲子園準優勝や夏の県大会5連覇など、数々の実績と記録を残している鹿児島の名門、樟南高校。
そんなチームを2010年夏から指揮しているのは、選手時代に夏の甲子園8強に進出した経験を持つ、OBの山之口和也監督である。
“「どれだけ実戦と同じ緊張感と集中力を持ってやれるか」/ 樟南 山之口和也監督” の続きを読む2018年のセンバツ大会に、2季連続で出場を果たし、16強まで勝ち進んだ滋賀県の彦根東高校。
当時、チームのエースを務めていたのは、敗れた3回戦で9回ノーヒットピッチングを披露するなどの抜群の安定感を誇っていた、増居翔太選手である。
“「こなすだけの『作業』ではなく、無駄な練習をしないことを意識する」/ 彦根東 増居翔太選手” の続きを読む昭和の終わりから平成初期にかけて甲子園で活躍し、その後も強豪として毎年県大会の優勝候補に挙げれている福岡大大濠高校。
そんなチームを2004年からコーチとして指導し、10年からは指揮もとっているのは、OBの八木啓伸監督である。
“「練習時間が短いことはマイナスではない」/ 福岡大大濠 八木啓伸監督” の続きを読む2017年のセンバツに、前年の九州王者として出場し、2回戦では引き分け再試合を制して、8強に進出を果たした福岡大大濠高校。
当時正捕手を務め、高校通算52本塁打の打撃と共にチームを引っ張っていたのが、古賀悠斗選手である。
古賀選手は、中学時代は投手を務めていたものの、高校進学後は打撃を期待され野手に転向し、1年夏はサードとして試合に出場していた。
しかし、1年時から即試合に出場していたことで、他の同級生が入学後から行っていた基礎体力を強化するメニューに参加できず、スタミナやパワーの面での課題が多く、中々状態を上げれずにいた。
また、慣れない長距離の通学や朝練に伴う早起きなどの、高校生活への対応にも苦戦を強いられていた。
それでも、冬場の期間に他の部員に追いつくために自主練なども含めた地道なトレーニングを重ね、徐々に力をつけていった。
そして、2年夏から急遽スタートした捕手でも、反復練習を徹底して行い、最初の大会となった秋には、強肩強打で九州を制する立役者となった。
迎えた、センバツ大会でも攻守に渡る活躍を見せ、チームの8強進出に貢献すると、その年のU18にも選出されたのであった。