「勝負は強気の攻めの方が勝率は高い」/ 池田 蔦文也監督

やまびこ打線」と称される豪快な攻撃で試合の主導権を握り、春夏合わせて3度の甲子園制覇を記録している、徳島県の池田高校

かつてチームを指揮していたのは、多くの野球ファンから「攻めだるま」と親しまれ、甲子園で春夏通算37勝を挙げている蔦文也監督である。

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蔦監督が1952年に池田高校の監督に就任した際は、戦後の物不足の影響もあり、ボール3球にバットが2本という厳しい環境からのスタートであった。

その後は、様々な困難を乗り越えるも、母校でもある徳島商業に何度も阻まれ、監督就任から20年間、甲子園出場は叶わずにいた。

それでも、「負けからのスタート」を合言葉に試行錯誤を重ね、1971年のセンバツに僅か11人の部員のみで初出場を果たすと、一気に勝ち進み準優勝を成し遂げた。

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勢いに乗りつつあったチームに追い風となる形で、金属バットの導入が解禁されると、当時では珍しい筋力トレーニングを積極的に練習に取り入れ、芯を外しても外野に飛ばせるような力を選手につけさせ、「やまびこ打線」の土台を作り上げていった。

練習の大半を打撃練習と筋力トレーニングに費やし、試合でもバントを極力使わず積極的な打撃で相手を翻弄する野球は、従来の高校野球のスタイルを大きく変えることにもつながっていった。

高校野球界に衝撃と変化をもたらし、一時代を築き上げた名将の伝説はいつまでも語り継がれるだろう。

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