2008年の夏の甲子園に、チーム史上2度目となる出場を果たした、三重県の菰野高校。
当時、チームのエースを務めていたのは、2年時から140キロを超える速球で全国から注目を集めていた、西勇輝選手である。
西選手は、小学生から野球を始めると、投手を中心にプレーしていたこともあり、菰野へ進学した際には、安定したコントロールが評価され、2年春からは、エースナンバーを背負うこととなった。
その一方で、瞬発力と持久力がなく、試合終盤に失点することや、球速が落ちることが大きな課題であった。
そこで、複数の短距離ダッシュを練習メニューに取入れ、多い時には30メートルのダッシュを4時間近く続けることも行い、克服を目指していった。
また、練習試合でも、味方の攻撃イニングにファールグラウンドで短距離走を繰り返し行い、負荷がかかった状態でベストピッチングを出す練習も行い、甲子園に照準を合わせた身体へと鍛えていった。
そして、持ち味であるコントロールに更なる磨きをかけるために、ストライクゾーンの中にモノを置いて、当てないように投げ込むなど、より精度の高いものへと進化させていった。
迎えた最後の夏は、甲子園で勝利を挙げられなかったものの、練習試合を含めた高校通算の敗戦は僅か6という驚異的な数字を残したのであった。