新たな時代の幕開けを予感させるかのように、令和最初の夏に全国制覇を成し遂げた、大阪府の履正社高校。
無名の弱小校時代から、チームを引っ張り続けてきた、岡田龍生監督にとっては、30年以上の苦労が報われた瞬間でもあった。
専用グランドがなく、部員11人でスタートした岡田監督率いる履正社は、環境に言い訳することなく、圧倒的な練習量と努力量で、10年目にして初の甲子園を経験し、大阪の次なる名門に名乗りを上げたかに見えた。
しかし、周囲の期待と注目は、岡田監督にとってプレッシャーともなり、力はあっても情熱が空回りし、結果が出ない時期が続いた。
そんな焦りは、体罰という形で指導にも影響が出て、甲子園どころか、謹慎処分を受け、指導者としてグランドを離れる日々を過ごした。
何かを変えなければならないという想いから、弱体化することを覚悟で、指導方針を大きく変え、これまでになかった、対話を重視したスタンスをとった。
選手たちが理解するまで、言葉で丁寧に伝えることは、時間と手間が必要だったが、長い目で見れば、成長していくことを知り、自身の情熱をぶつけるのではなく、分かち合うことを続けた。
一人で全てを担いきれないと限界を感じた時には、保護者に協力を求め、家族にコーチになってもらい、保護者との面談を通して選手の心の声を知るという制度を作るなども行い、選手ファーストの姿勢を貫いた。
PL学園や大阪桐蔭といった、全国トップレベルの府内の強豪に、いつも夢を阻まれ続けていたが、岡田監督の努力を、甲子園は見放すことなく、全国制覇という最高の形で祝福した。
58歳で初めて優勝旗を手にした岡田監督の始まったばかりの青春物語に、今後も目が離せない。