1973年の甲子園に、春夏連続で出場を果たし、その後行われた国体では準優勝を成し遂げた、栃木県の作新学院。
当時、チームのエースを務めいていたのは、数々の驚異的な記録を残し、歴代最高投手の呼び声高い、江川卓選手である。
江川選手は、元々肩の強さを武器に投手として活躍していたが、中学時代にスリークォーターから上から投げ下ろすフォームへと投げ方を修正したことで、一気にスピードが上がり、県大会優勝投手にまで成長した。
作新学院入学以降も、即レギュラーに起用され、 甲子園出場はならなかったものの、夏の栃木県大会準々決勝では、入学4ヶ月目にして完全試合を達成するなど、衝撃的なデビューを果たした。
その一方で、世間から注目されたり、チーム内でも下級生ながら優遇されている江川選手に対し、チームメイトは距離を置くようになり、次第に深い溝ができていった。
それでも、3年時に春夏連続で甲子園を果たせたことや、完全試合を筆頭とした記録を作れたことは、自身の力ではなく仲間のおかげと考え、チームメイトの存在に感謝し投球を続けた。
そんな江川選手に、ナインは最後の夏、甲子園の2回戦、延長12回1死満塁、2ストライク3ボールという局面でタイムを取った歳に、2年半の感謝と自信のあるボールを投げるようにと伝えた。
ナインからの言葉を信じ投じた最後の一球は、大きく外れ押し出しで敗れるという結果に終わったが、それは、最後の最後にチームが一つになった瞬間でもあった。