2000年の夏の甲子園に、四半世紀ぶりに出場を果たし、初戦で延長11回の末、惜しくも敗れた中京商業(現・中京高校)。
当時、2年生ながら3番遊撃手として、チームの投打の軸を務めていたのは、松田宣浩選手である。
松田選手は、双子の兄と共に、中京商業へ進学すると、遠くに飛ばすことを意識した打撃練習や素振りを繰り返したことで、長打力が身についていった。
また、練習内容以上に量を重視し、時間を見つけては、バットを振ったり、走り込んで下半身を強化するなどを続けたことで、成長の速度が向上していった。
そんな努力が実を結び、2年の夏にはチームの甲子園出場に大きく貢献した一方で、試合では松田選手のエラーが決勝点となり、初戦敗退を喫した。
甲子園での敗戦から、2年秋以降は、試合だけでなく、常に全力でプレーすることを目標に掲げ、一球一振に、力を出し切る癖をつけていった。
そして、時間の長さに関係なく、毎日努力を行う習慣を作り、継続することにこだわりを持ち、汗を流し続けていった。
3年時には、春夏甲子園出場は果たせなかったものの、高校通算60本を超える本塁打を記録するなど、チームの歴史に名を残す活躍を見せたのであった。
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