「怒られて『何くそ』と思ってくれれば」/ 八重山商工 伊志嶺吉盛監督

高校野球の歴史で離島の高校として、初めて甲子園出場した沖縄県の八重山商工

甲子園出場は春夏合わせて二度だが、その知名度は凄まじい。

2006年のセンバツで離島から甲子園への出場で、全国から大きな注目を集めたのだ。

センバツで初出場初勝利を挙げると、夏の甲子園では16強まで勝ち進んだ。

八重山商工は、「100年かかっても八重山から甲子園は無理」と言われていた、不可能を可能にし、島の歴史を作ってきたのだ。

そんなチームを作り上げたのが伊志嶺吉盛監督である。

伊志嶺吉盛監督の記事はこちら。

伊志嶺監督の指導は、1日14時間練習をおこなったり、甲子園で「死ね」と伝令をおくったりと選手達に厳しく接していた。

その為、「鬼監督」と称されていることも多かったが、野球と選手たち、そして甲子園への気持ちは誰よりも強かった。

それを示すかのように、伊志嶺監督には選手達のために、野球指導を優先させるために転職をしたり、借金をしてまで、打撃練習に必要なマシーンを購入したりと、自分を犠牲にしてまで、監督業を務めていた。

八重山商工の快進撃は、選手たちが、厳しい言葉を浴びせられて監督への怒りをエネルギーに変え力を発揮していただけでなく、監督への感謝の気持ちも力に変えていたからだろう。

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