平成の時代に春夏合わせて、10回の甲子園出場を記録した栃木県の佐野日大高校。
1997年の選手権ではベスト8、2014年のセンバツでは四強まで勝ち進むなどの実績を残している。
そんなチームを指揮していたのが、名将松本弘司監督である。
佐野日大で40年間チームを指導し、全国レベルの強豪校に育て、甲子園だけでなく激戦の関東地方で、上位進出を続けるチームを毎年作っていた。
2010年には、日本高野連から育成功労賞を受賞し、勇退後も名誉監督として活躍を続けるている。
そんな、松本監督は野球については特別なメニューを取り入れず、基礎となる体作りを重視して指導していた。
強豪揃いの地区や県大会を勝ち上がるためには、ベストなコンディションで挑む必要があると考え、怪我のない選手を育てることに力を入れていたのだ。
通常の練習ではトレーニングだけに拘らず、アップやストレッチを入念に1時間かけて行うこともある。
そして、体づくり以外については、選手たちの自主性を優先し、考え方やアイディアに対して否定することなく、アドバイスやサポートを行っている。
監督の言いなりの選手を育てるのではなく、自ら考えて動ける選手を育てることが松本監督の野球であり、佐野日大の伝統なのだ。
また、甲子園の地方大会とは異なる雰囲気や応援の圧力、猛威を振るう独特の浜風などの「難しさ」を敢えて面白さと考え、采配していた。
相手も同じ条件であることから、その「難しさ」をいかに味方にし、のびのびとプレーさせるかを考えながら戦うことで、甲子園でも成績を残せたのだろう。
名誉監督となった松本監督の夢の続きは新監督と新たな教え子たちに託された。