「負けてても最後まで投げきるっていうことに自分の思いは詰まっていた」/ 平安 川口知哉選手

1997年の甲子園に春夏連続出場し、夏の選手権では準優勝を成し遂げた、京都府の平安高校(現・龍谷大平安)。 当時、チームのエースと4番、更には主将といった大役を務め、準優勝の立役者となったのは、川口知哉選手である。

「経験をどのように受け止め、どう生かすかが大切」/ 平安 桧山進次郎選手

1987年の夏の京都府予選で、チームの歴史上2度目となる1回戦敗退となった、平安高校(現・龍谷大平安)。 当時、チームの主将を務めていたのは、2年時から攻守の中心選手として活躍していた、桧山進次郎選手である。

「ごまかしで結果は出ない」/ 龍谷大平安 原田英彦監督

自身の母校、龍谷大平安を指揮している原田英彦監督は、「指導者」や「教育者」という肩書きに加え、「平安ファン」という3つの顔を持ち、「使命」として職務をまっとうしている。