「納得できるボールが投げられるのなら、この試合で潰れても構わない」/ 東海大山形 藤原安弘選手
1985年の夏の甲子園に出場するも、初戦で22点差をつけられ大敗を喫した、東海大山形。 当時、チームの4番でエースという大役を担っていたのは、1年時から投打に渡る活躍を見せていた、藤原安弘選手である。
1985年の夏の甲子園に出場するも、初戦で22点差をつけられ大敗を喫した、東海大山形。 当時、チームの4番でエースという大役を担っていたのは、1年時から投打に渡る活躍を見せていた、藤原安弘選手である。