「野球は一人でやるスポーツじゃない」/ 東海大相模 小笠原慎之介選手

2015年の夏の甲子園で、45年ぶり2度目となる全国制覇を成し遂げた、神奈川県の東海大相模高校。

当時、チームのエースを務めていたのは、決勝戦を完投し、打者としても勝ち越しとなる本塁打を放つ活躍で、優勝の立役者となった、小笠原慎之介選手である。

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「三振の数を取るよりも、ゼロで抑えることが大事」/ 前橋育英 高橋光成選手

2013年の夏の甲子園で、初出場初優勝の快挙を成し遂げた、群馬県の前橋育英高校。

当時、2年生エースとして全6試合50イニングに登板し、防御率0.36という安定した投球内容で、優勝投手となったのが、高橋光成選手である。

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「高校野球って甲子園が目標じゃなくても僕は良いと思っている」/ 瀬戸内 山岡泰輔選手

2013年の夏の広島県大会決勝で、延長15回引き分け再試合を制して、13年ぶりの甲子園出場を果たした、瀬戸内高校。

当時、チームのエースを務めていたのは、最速147キロのストレートを武器に相手打線を抑え、大会注目右腕として、全国から期待されていた山岡泰輔選手である。

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「一人の力では絶対に勝てないし、みんなで力を合わせないと上は目指せない」/ 二松学舎大付 鈴木誠也選手

2012年の夏の東東京大会で、優勝候補に挙げられながらも、準決勝で後の優勝校相手に涙をのんだ二松学舎大付属高校。

当時、チームのエースを務めていたのは、打者としても高校通算43本塁打を記録するなど、二刀流の活躍を見せていた、鈴木誠也選手である。

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「上手くなるには、自分で数をこなしていくこと」/ 習志野 宮内和也選手

2011年の夏の甲子園に、春の関東大会王者として出場し、周囲からマークされながらも、8強に進出した千葉県の習志野高校。

当時、チームの主将を務めていたのは、俊足好打の1番打者として攻守に渡る活躍で、プレーでもチームを引っ張っていた宮内和也選手である。

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「怪我をしても、何もできないわけじゃない」/ 智弁和歌山 西川遥輝選手

2010年のセンバツ大会で、名将、高嶋仁監督に監督勝利数単独トップとなる59勝目をもたらした、智弁和歌山高校。

当時、チームの主軸を務めていたのは、走攻守三拍子揃ったプレースタイルで、全国から注目を集めていた、西川遥輝選手である。

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「何事もプラスに考え、やるべきことをやれば、『野球の神様』は見ている」/ 中京大中京 河合完治選手

2009年の夏の甲子園で、相手チームの壮絶な追い上げを振り切り、史上最多となる7度目全国制覇を成し遂げた、愛知県の名門、中京大中京

当時、チームの主軸を務めていたのは、高校通算38本塁打を放ち、甲子園でも大会記録となる28塁打を記録するなどの活躍を見せていた、河合完治選手である。

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「前に前に攻めていける気持ちがあれば強くなれる」/ 菰野 西勇輝選手

2008年の夏の甲子園に、チーム史上2度目となる出場を果たした、三重県の菰野高校。

当時、チームのエースを務めていたのは、2年時から140キロを超える速球で全国から注目を集めていた、西勇輝選手である。

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「相手を抑えて試合を作るのは、ピッチャーの役目」/ 金光大阪 植松優友選手

2007年の夏の大阪大会で、その年のセンバツ8強で、優勝候補の筆頭でもあった大阪桐蔭を敗り、甲子園出場を果たした、金光大阪

当時チームのエースを務めていたのは、140キロの速球とキレのある変化球を武器に、激戦の大阪を制する立役者となった、植松優友選手である。

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