「練習メニューを監督からもらっているうちは勝てない」/ 千葉経大付 松本吉啓監督

2004年の夏の甲子園で、初出場ながら、優勝候補筆頭、ダルビッシュ有選手擁する東北高校を敗り、4強まで勝ち進み、「奇跡」とも称される、衝撃デビューを果たし、千葉経大付属高校。

そんな快進撃の背景には、かつて甲子園優勝投手となった経験や、指導者としても甲子園へ導いた実績を持つ、松本吉啓監督の指導があったからである。

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松本監督は、就任した際のチームは、県大会ベスト16どまりで、部員数も20人以下という、甲子園出場を目指す学校としては厳しい状態であった。

また、専用グラウンドも学校から20キロ程離れた場所に位置していることに加え、練習時間も平日であれば2時間と、限られた環境であった。

それでも、時間を見つけては、中学校のクラブチームに勧誘に行き、グラウンドの草むしりも自ら率先して行うなど、甲子園を目指せる環境づくりをコツコツとこなしていった。

そんな監督の努力を間近で見ていた、息子松本啓二朗選手が、中学時代のチームメイトと共に、本気で甲子園を目指すことを志し、入学した頃から、部員数も増え、チームは急激な成長を遂げることとなった。

練習環境に言い訳せずに、少しでも数をこなせるようにと、効率を考えた練習メニューやトレーニングを取り入れ、基礎基本を徹底させた。

結果が出ない時には、指導者からの指示待ちに選手たちがなってしまっていることを反省し、選手だけで練習内容を考えさせるスタイルも導入し、主体性も身につけさせた。

そして、部員数が増えたこともプラスにとらえ、全員に多くのチャンスを与え、レギュラー争いを激化させながら、チーム全体のレベルアップも行なっていった。

初出場での4強進出は、劇的な展開が多く、自他共に「奇跡」と口にしているが、松本監督含む、千葉経大付属の「努力」が支えとなっていたことは、間違いなさそうだ。

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