高校野球では、日々積み重ねる練習の全てが、試合で活かされる場面には滅多に遭遇せず、努力量に対して得られる成果というものも、極めて少ないものである。
そのため、練習をこなせばこなすほど、必要性に疑問を感じたり、膨大な量や時間を無駄と考えてしまい、中途半端な努力になってしまうケースは多い。
しかし、池田高校を指揮していた蔦文也監督は、試合の個人やチームの結果ではなく、日々の練習や努力の方が価値があるとして、指導を続けていた。
蔦監督は、「夏春連覇」や「やまびこ打線」、「さわやかイレブン」など、数々の記録や記憶に残すチームを育て上げてきたことから、結果ばかりがクローズアップされている。
だが、蔦監督を支えていたのは、輝かしい実績ではなく、何度も味わった挫折や失敗を、地道な努力で乗り越えてきたというものであった。
特に、池田高校監督就任から、甲子園優勝まで30年の歳月を要したことは、その後の3度の全国制覇の原動力となり、自らの鍛錬へのモチベーションともなっていた。
結果より成長という、独自の理論を選手たちだけでなく自身の道標にもしていた蔦監督は、勝負師というより教育者だったのだろう。
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