1974年の夏の甲子園の準々決勝で、延長15回にも及ぶ死闘を制し、県勢初の4強進出を果たした、鹿児島実業高校。
当時、チームのエースを務めていたのは、甲子園で2試合連続完封を成し遂げるなどの活躍を見せていた、定岡正二選手である。
定岡選手は、3歳年上の兄の影響で野球を始めると、兄がプロ野球選手になったことで、闘争心に火がつき、同じ鹿児島実業に進学した。
兄の努力や練習を間近で見ていたこともあり、野球に対するアプローチの仕方に悩んだり迷うこともなく、力をつけていき、2年夏の甲子園に出場を果たした。
しかし、初の甲子園では、代打出場にとどまり、チームも初戦敗退と思うような結果が残せずに終えることとなった。
そんな悔しさを糧に、新チームでは、水も飲まず、ドロドロになりながらの過酷な練習を乗り越え、エースとなった。
迎えた、最後の夏は甲子園で2試合連続完封の好投で8強まで勝ち進むと、準々決勝では延長15回の死闘を一人で投げ抜き勝利し、県勢初の4強まで導いたのであった。
準決勝では怪我で途中交代となり、チームも敗れるも、下馬評を覆す活躍に多くのファンは魅了されたのであった。