1994年のセンバツ甲子園に、3季連続での出場を果たした、石川県の金沢高校。
当時、チームのエースを務めていたのは、初戦で甲子園史上2人目となる完全試合を達成した、中野真博選手である。
中野選手は、強豪の金沢高校に進学すると、厳しい練習を楽しむことで克服するなど、ポジティブな考え方を持っていたことで成長し、1年秋から主力投手を任さた。
2年時は、春夏連続での甲子園出場に大きく貢献し、甲子園でも全試合に登板し、完投するなど、活躍を見せていた。
その一方で、出場した甲子園はいずれも初戦で敗れていたことから、先輩たちのリベンジを誓い、新チームとなった2年秋以降は、更に練習量を増やしていった。
徹底した走り込みで下半身を強化し、コントロールを安定させると、伝家の宝刀であったスライダーの制度を向上させるなど、ピッチングの質を高めていった。
迎えたセンバツでは、冬場に鍛え上げた投球を術を全て発揮し、初戦を1時間28分99球、という驚異的な数字と完全試合という記録を残し、勝利へと導いた。
2戦目では惜しくも敗れ、夏の甲子園出場も果たせなかったが、球史に残る名投手として、現在も語り継がれている。