激戦区東京に位置しながら、2008年センバツから10年間で8度の甲子園出場という驚異的な数字を残しているのが関東一高である。
かつては小倉全由監督(現日大三高監督)の指導によって1987年のセンバツで準決勝を成し遂げた経験を持つ名門も、94年夏からは約15年甲子園から遠ざかっていた。
そんな名門復活を託されたのが、現在チームを指揮を執る米澤貴光監督である。
米澤監督は、25歳の若さで監督に就任すると、思いのままに選手たちに熱意を注ぎ、猛練習を毎日続けていた。
しかし、練習量で勝てるほど高校野球は簡単ではなく、甲子園は遠く、都大会すら勝ち上がることが難しかった。
練習量に拘りすぎたことで、選手は監督の指示待ちの受け身の状態となっていた当時のチームは、勝負の明暗を分ける「一球」に弱かったのだ。
そこで、練習のスタイルを見直し、「量」重視の方針から、監督の力をもカバーし、自ら判断のできる「考えられる選手」の育成する方針へと指導法を変えたのだ。
技術や身体作りだけでなく、数字や記録に残らないカバーリング、全力疾走などの目に見えない部分までを選手たちに必要性や意図を考えさせて練習に取り組ませたのだ。
時には、選手から納得のいく答えが得られなかったり、不本意な意見が返ってくることもあったが、「考える力」を鍛えさせるために、怒って選手を動かすのではなく、「気づかせ役」となり、選手を自主的に動かすようにと、何度も対話を繰り返し辛抱強く指導した。
そして、選手たちの成長や行動を妨げることを避けるために、敢えて「目的」に対しての過程となる「手段」も強制はせず、道順も強制せず考えさせて育てていったのだ。
やがて、「やらされてる野球」ではなく、「自ら率先する野球」が身についたことで、甲子園に再び常連校として名を連ねたのであった。
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