2006年の夏の甲子園で、4点差以上のリードを2度奪いながらも、いずれも追いつかれ、最後は劇的なサヨナラで敗れた、岡山の関西高校。
当時、チームのエースとして、マウンドに立っていたのは、甲子園史上最も壮絶な敗戦を経験し続けた投手として称されている、ダースローマシュ匡選手である。
ダース選手の悲劇は、2年時のセンバツで、登板機会はなかったものの、9回にサヨナラ負けしたことが、全ての始まった。
続く夏の甲子園では、2番手投手として初の甲子園のマウンドに上がるも、7回と1/3を投げ、被安打15、失点10と、最大6点差を逆転された。
3年のセンバツでは、延長15回を投げ切るも、引き分け再試合となった試合では登板できず、チームも9回に逆転を許し敗北を喫した。
最後の夏にリベンジを誓い、肩の怪我にも屈することなく練習に汗を流していったダース選手ではあったが、甲子園は微笑まず、初戦では5点差のリードを徐々に追い詰められ、最終回には2死から3連打を浴び、サヨナラ負けとなった。
甲子園では勝利に恵まれなかったものの、2年春から引退までは、県大会や地区大会で無敗を記録を誇り、関西高校の黄金期を支えていたダース選手は、名投手としても語られるだろう。