甲子園初出場から9連敗を喫するも、打ち勝つ野球を徹底的に追求し、盛岡大附を全国レベルの強豪校へと育て上げた、関口清治監督。
安打が安打を呼び込み、畳みかけるように得点を重ねる通称、「わんこそば打線」は、現在では盛岡大附の代名詞となっている。
そんな、「わんこそば打線」の誕生には、雪国ならではの苦労と、その苦労に対する関口監督の逆転の発想があった。
盛岡大附が位置する、盛岡市では、毎年100日以上雪が降り、真冬にもなれば日中でも気温が氷点下であることが多く、雪国定番の冬場の外での練習ができないことに、悩まされ続けていた。
また、野球部専用のグラウンドはあるものの、室内練習場がなく、練習場所が限られているということも、大きな課題であった。
しかし、関口監督はそんな環境に言い訳するのではなく、雪があるからこそできることを見つけようと、試行錯誤を繰り返し、雪上練習で最も効率よく効果が出る打撃強化へと行き着いたのであった。
就任直後から、冬場の過ごし方に苦戦し、当初は雪をある程度除ければ、ノックや守備練習も可能ではあったため、守備にも力を入れていたが、細かな連携やサインプレーなどは、難しい状態であった。
そこで、取り組むことが難しく、あまり効果の得られないことで、弱点となりつつあった守備には、必要以上に時間を使わず、補うために、打撃を強化する方が効率がいいという、シンプルな発想に至ったのだ。
練習時間の大半を打撃の強化に充て、何種類ものティー打撃や竹バットを使用した練習など、いくつものメニューで全国トップレベルの打撃が完成したのだ。
強力打線を武器に、甲子園常連から甲子園の上位進出常連になりつつある盛岡大附に、今後も注目だ。
「「ないものを求めても仕方ない」/ 盛岡大附 関口清治監督」への1件のフィードバック