2009年の夏の甲子園の決勝で、6点差の9回ニ死走者なしから、5点を挙げる驚異の粘りを見せ、県勢初の準優勝を成し遂げた、新潟県の日本文理高校。
当時エースとして、力投でチームを支え、決勝戦では、球場中に響き渡る「伊藤コール」を味方に、2点適時打を放つなどの投打に渡る活躍を見せたのが、伊藤直輝選手である。
伊藤選手は、「新潟から日本一」を本気で目指して、地元の日本文理へと進学した。
2年時の秋に地区大会を優勝し、センバツ出場を決めながらも、神宮大会では打ち込まれ大敗を喫し、大井道夫監督からは「投手クビ」の宣告を受けていた。
しかし、そんな監督の言葉には、伊藤選手を奮起させるための計らいがあり、「エースとしての自覚」を思い起こさせることが目的であった。
監督の言葉で、「自覚」と「責任」を再び胸に刻んだ伊藤選手の、練習への取り組み方は変わり、成長の速度は加速していった。
また、野球だけでは、他チームには勝てないと考え、グランド横のトイレ清掃を日々のノルマと課し、精神的な成長も目指していった。
野球の技術とは直接結びつかないことではあるが、誰もしていない「努力」が「自信」となり、伊藤選手を支えていたのだろう。
「「人が嫌がることをあえてやる、それをやりきることが自信につながる」/ 日本文理 伊藤直輝選手」への1件のフィードバック