2010年のセンバツ大会の決勝で、延長12回の末敗れるも準優勝を果たした東京都の日大三高。
そんなチームの投打の中心選手として、投げては全試合に先発し防御率2.55を残し、打っては大会タイ記憶の13安打を放つなど活躍していたのが、山崎福也選手である。
山崎選手は、中学時代に観戦した際の日大三高が見せた「強打」を軸に攻めていくスタイルに憧れて、進学を決意した。
入学も決まり期待と甲子園の夢を抱いていた矢先、入学前の健康診断で山崎選手は「脳腫瘍」が見つかり、急遽手術となった。
あまりの大きな出来事に、野球ができなくなる不安や死の恐怖すらも感じていたが、「もう一度野球がしたい」という気持ちを頼りに手術を決意し、治療の道を選んだのであった。
6時間にも及ぶ大手術は成功し、甲子園に出場していた兄の姿から勇気をもらった山崎選手は驚異的な回復力を見せ、1年の5月にはチームメイトと共に同じメニューをこなせるまでになった。
再びグランドに立てた喜びが練習のモチベーションにもなり、2年春からレギュラーの座を掴むと、夏の甲子園にも出場し安打を記録した。
そして、3年のセンバツでは決勝戦を含む全試合に先発し、圧巻の投球を披露すれば、打者としても甲子園の歴史に名を残す大会記録(1大会13安打の個人最多安打)にも並んだのであった。