「昔ながらの練習にも意味はある」/ 済美 中矢太監督

かつて上甲正典監督の指揮の元、創部3年で、センバツ高校野球に初出場初優勝を成し遂げ、衝撃デビューを果たした愛媛県の済美高校は、不祥事をきっかけに、低迷期を経験した。

体外試合禁止や公式戦出場停止など、厳しい処分を受け、人気も低迷し、入部希望者も減少し、大会でも勝てないという悪循環が続いていた。

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そんなチームの復活させ、再び全国レベルの強豪へと立て直したのが、上甲前監督時代からコーチや部長としてチームを支えていた、中矢太監督である。

不祥事明けということもあり、中矢監督は、一度自身やチームが長年続けてきた、指導スタイルや野球部の在り方というものを見直すことからスタートした。

上甲監督時代には、指導者が中心となったチーム練習の時間が多かったが、選手たちの考える能力が低いことが、弱さでもあったため、自主性を新たにプラスした。

自主性は、野球だけでなく、様々なトラブルを乗り越えたり、気づいたりする上で、欠かせない能力を身につけやすことから、そういった力を養う意味を込め、自主練習の時間の確保も努めた。

もちろん、全ての練習メニューやチームのルールを変えることはせず、伝統として残すべきものは継承するなど、バランス配分は慎重に行っている。

また、かつては野球部が優遇されていることが多く、学校行事などでも消極的なスタンスではあったが、学生という肩書きを持つ以上、学校生活も大切だと伝え、積極的に参加させている。

上甲イズム継承ばかりが、得策と周囲から論させる中で、冷静に時代やチーム事情を見極め、新たな取り組みを行ったことが、済美の復活へと繋がったのだろう。

上甲監督の意志を受け継ぎ、新たな伝統で歴史を作りはじめた中矢監督済美ナインが、全国制覇を成し遂げる日は近そうだ。

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