「目標に向かって頑張ること自体がすごい」/ 宇部商 藤田修平選手

1998年の夏の甲子園に出場し、2回戦で延長15回の末、惜しくも破れた山口県の宇部商業高校。

当時、2年生ながらエースとしてチームを支えていたのは、敗れた2回戦でも211球の熱投を見せた、藤田修平選手である。

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藤田選手は、小学3年から野球を始め、宇部商業進学後は主力投手を任され、2年生ながら甲子園出場へと導いたのであった。

名門故に、チームは上位進出を期待されていたが、全国のレベルの高さを目の当たりにしたチームは、甲子園では1勝を目標に臨むこととなった。

迎えた甲子園では、目標通り初戦突破を果たすと、2回戦でも優勝候補相手に、互角の戦いを繰り広げ、試合は延長に突入した。

猛暑の中3時間50分を超える試合で、藤田選手は味方の反撃を信じ投げ続けるも、延長15回裏無死満塁で、ボークをしてしまい、サヨナラ負けとなった。

大会中に発症した肘の痛みに夏の暑さ、相手チームのサイン盗み(当時は規制外)といった作戦に苦しめられながらも、マウンドにたち続けた藤田選手に甲子園は、拍手で称えた。

リベンジを誓った3年時は、甲子園出場は果たせなかったものの、悔しさを糧につらさを乗越え、挑戦し続けた藤田選手の2年半に、多くのファンは感動を受けたのであった。

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