「一人一人の打者に意味のある球を投げたい」/ 横浜隼人 今岡一平選手

2010年の夏の神奈川大会に、前年覇者としての重圧を背負いながら、下馬評を上回る4強進出を果たした横浜隼人

当時のチームのエースは、2年時に横浜隼人史上初の甲子園へ導いた実績を持つ、今岡一平選手である。

横浜隼人の記事はこちら。

今岡選手は、身長173センチ、体重68キロと投手としては恵まれない体格をも感じさせない、力投を持ち味に、2年時にはエースナンバーを背負う存在になっていた。

2年夏には、神奈川大会の準々決勝で、筒香嘉智選手擁する優勝候補の横浜高校をサヨナラで敗ると、3連投、473球の疲れを感じさせない投球で、チームを初の甲子園へ導いいた。

甲子園では2回戦で敗れるも、鋭い変化球とピンチでも絶やさない「笑顔」は多くのファンの記憶に残り、全国からも注目を集める存在となっていった。

しかし、周囲からの期待を背負い、新チームでもエースとしてスタートした今岡選手に、腰の疲労骨折という試練が待ち受けていた。

「最後の夏までに完治は厳しい」という診断結果にもわずかな希望を信じて、冬場に辛抱強くリハビリに取り組んだ結果、春にはブルペン投球ができるまでに回復を果たした。

怪我を通して、身体の強化の必要性を学び、野球ができることへの喜びを知った今岡選手は、甲子園以上の大切なものを見つけ横浜隼人を卒業した。

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