「失敗を気にしていたら、絶対に結果は出ません」/ 桐蔭学園 森敬斗選手

2018年に、秋の関東大会を24年ぶりに制し、翌年のセンバツには、18年ぶりの出場を果たした、神奈川県の桐蔭学園高校。

当時、チームの主将を務めていたのは、走攻守三拍子揃った遊撃手として、全国から注目を集めていた森敬斗選手である。

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「楽しまなきゃ、やる意味がない」/ 八戸学院光星 武岡龍世選手

2019年の甲子園に春夏連続出場を果たし、夏の選手権では8強まで勝ち進んだ、青森県の八戸学院光星

当時、チームの主将を務めていたのは、50メートル5.9の俊足と高校通算23本塁打の長打力に加え、安定した守備も武器としていた武岡龍世選手である。

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「背番号1とは、どんな場面でもマウンドに上がって先頭に立ち、チームを支える責任が伴う重い数字」/ 札幌第一 野島丈選手

3度目の出場となった2019年のセンバツで、学校史上初の春の甲子園勝利を目指し戦った、北海道の札幌第一高校。

当時、チームのエースを務めていたのは、手元で伸びる力強い速球と切れ味鋭い変化球を武器としていた、野島丈選手である。

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「努力すれば叶うと疑いなく信じることがすごく大事」/ 池田 江上光治選手

1982年の夏、83年のセンバツを制し、史上4校目の夏春連覇を成し遂げた、徳島県の池田高校

当時、チームの中心選手として活躍していたのは、2年時から中軸を担い、3年時には主将も務めていた、江上光治選手である。

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「本当の成長は、自分で考え主体性を持って練習するときに生まれる」/ 國學院久我山 井口資仁選手

1991年の夏の甲子園に出場し、初戦で終盤に怒涛の追い上げを見せ4点差を追いつき同点とするも、延長10回の末、惜しくも敗れた國學院久我山高校。

当時、2年生ながら予選で3本塁打を記録するなどの活躍を見せ、チームの攻撃の中心を担っていなとは、井口資仁選手である。

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「劣勢な時や思い通りに行かない時、どう行動をとるかで真価が問われる」/ 静岡 高木康成選手

1999年の甲子園に、センバツは19年ぶり、夏は12年ぶりで春夏連続出場し、共にベスト16入りを果たした、静岡高校

当時、チームのエースを務めていたのは、夏の甲子園の初戦で、金属バット導入後の最多となる17奪三振を記録した、高木康成選手である。

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「高校野球って、力だけでは勝てない」/ 習志野 小川淳司選手

1975年の甲子園に春夏連続出場し、夏の選手権では、学校史上2度目となる全国制覇を成し遂げた、千葉県の習志野高校。

当時、チームのエースを務めていたのは、甲子園で3試合連続完封などを記録し優勝に貢献した、小川淳司選手である。

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「野球とは自分の気持ちを変えさせてくれるスポーツ」/ 金足農業 吉田朋広選手

1998年の県大会決勝で、球史に残る壮絶な打撃戦を制し、3年ぶりの甲子園出場を掴んだ、秋田県の金足農業高校。

当時、チームの主将と捕手を務めていたのは、好リードとシャープなバッティングが持ち味であった、吉田朋広選手である。

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「自分にない力が出るし、持ってる力が出ない、甲子園ってとこは不思議なとこ」/ 浪商 香川伸行選手

1979年の甲子園に春夏連続出場し、センバツでは準優勝を成し遂げ、選手権では4強進出を果たした、大阪府の浪商高校。

当時、チームの中軸を担っていたのは、夏の甲子園での3試合連続本塁打を含む、高校通算41本塁打を記録した、香川伸行選手である。

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