「喜ぶ顔が出てきたら、変わってくる。成長の証ですよ」/ 如水館 迫田穆成監督

広陵広島商の二強を軸に公立、私立の差がなく毎年激戦を繰り広げている広島県。

そんな広島で、平成9年に甲子園初出場を果たすと、23年の夏の甲子園で八強入りするなど、春夏合わせて8度の出場で様々な実績を残しているのが如水館である。

チームを指揮していたのは、迫田穆成監督である。

迫田穆成監督の記事はこちら。

迫田監督は広島商の選手時代の1957年に夏の甲子園で全国制覇を経験すると、67年に母校の監督に就任し、73年には監督としても全国制覇を果たした。

93年に如水館の監督に就任し春夏合わせて8度甲子園へ導いた。広島の、そして高校野球界を盛り上げてきた名将である。

迫田監督は選手達を怒るだけでなく、褒めることで自信を持たせ指導していた。

選手たちの「喜ぶ顔」を何よりも大切にしながら、成長を見守っていた。

選手を公平に扱いながら、一人一人の気持ちを掴み引き出し、個々の能力では勝てない相手でも、チーム力を中心とした采配で、強豪校を倒していった。

また、めんこや剣玉などの昔遊びを通して、体の効果的な使い方を教えるなど、独特の練習法も取り入れていた。

迫田監督如水館での挑戦は終わったが、新天地、竹原高校で、次なる夢を追いかける。

如水館の記事はこちら。

【関連】広陵の記事はこちら。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です