夏の予選では東西に分けられ、二つの甲子園切符を争うが、センバツでは原則一つの切符を争うため、難関と称されることも多い東京都。
そんな東京で、9度のセンバツ出場を誇るのが、東東京の国士舘高校である。
国士舘は、1991年のセンバツ初出場を決めると、勢いそのままに甲子園では4強進出し、93年のセンバツでも4強に勝ち進むという結果を残した。
以降センバツに出場することが多く、「春の国士舘」とファンや高校野界に印象づけている。
そんなチームを指揮していたのが、名将永田昌弘監督である。
永田監督は、2006年〜14年まで国士舘大学で監督を務めていたが、16年秋に復帰し、18年秋には東京大会を制してセンバツの切符を掴んだ。
18年秋に東京大会を制したが、監督はチームの評価に厳しく、「史上最弱」とも表現していた。
しかし、そこには、「弱さ」を自覚させることで、選手たちに更なる努力をするように求めていたのだ。
結果が出ると、気づかないところで、「隙」が生まれてしまうため、それらを防ぐ意味を込め、敢えて選手を厳しく突き放したのだ。
弱さを自覚し、プレーや練習、試合を丁寧にする基本的な姿勢を思い出し、受けて立つのではなく「挑戦者」として試合に臨むことができてはじめて、最大限の力が発揮できるのだろう。