2011年、前評判通りの圧倒的な強さで2度目の夏の全国制覇を成し遂げた名門、日大三高。
そんな名門の新チームの主将に任命されたのが、2年生ながら2番打者として打率5割7分1厘を残し優勝に貢献した、金子凌也選手である。
金子選手は、周囲からの連覇の期待やプレッシャーと闘いながらチーム作りを行うも、3年生主体であった前チームからの切り替えは思うように進まず、秋の大会では一次予選、春の大会でも1回戦敗退と、苦戦が続いていた。
迎えた最後の夏でも、勝利に対する強い気持ちが空回りし、前年甲子園で5割を超えていた打率も西東京大会では2割に満たず苦しんでいた。
しかし、決勝戦では、絶体絶命の9回2死から逆転タイムリーを放ち、甲子園出場を決め、主将の執念を結果で証明した。
また、初戦敗退となった甲子園での最後の打席でも、本塁打を放つ活躍を見せ、最後の最後まで連覇を目指し闘っていた。
チームが苦しんでいる時に、背中でもプレーでも引っ張れる姿は、多くの野球ファンの心を掴んだ。
王者として受けて立つのではなく、最後の最後まで挑戦者として臨み続けていた結果が、土壇場の逆境を味方に変えることができたのだろう。