「完封にはこだわっていない、でも完投だけは譲れないんです」/ 沖縄尚学 東浜巨選手

県勢初の甲子園優勝を果たした際のエースが、肩書きを監督に変え戻ってきたセンバツで 優勝を果たし、大きな話題を呼んだ2008年の沖縄尚学高校。

そんなチームを、エースとして、5試合全てで登板し、完投、完封を2試合ずつ成し遂げる活躍で支えていたのが、東浜巨選手である。

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今や全国の強豪校として認識され、練習環境は優れているが、東浜選手が入学した際の沖縄尚学の練習環境は、決して恵まれてはいなかった。

専用グランドはなく、練習をしていたグランドは、バス停として利用されていたこともあり、練習時間や場所は限られていた。

それでも、東浜選手は練習環境に言い訳や不満を嘆くことなく、黙々と自身の課題と向き合い、練習を重ねていった。

ブルペンでの投球が終われば、黙々とランニングを行い、ランニングが終われば、遠投を行うなど、周囲に指示されるのではなく、自らの意志で練習を課し汗を流す姿は、県勢初の全国制覇を経験した、比嘉監督でさえ、認める程の練習量であった。

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練習量で得た自信を武器に、2年時からエースとしてチームの中心となった東浜選手は、背番号1のプライドも持ち、最後までマウンドに立ち続けることにもこだわっていった。

そんな気持ちが更なる進化の原動力となり、3年のセンバツ大会では、リリーフ登板した試合も含め、一度立ったマウンドを譲ることなく、甲子園を制した

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