2001年の夏の甲子園で、チーム史上最多となる甲子園3勝を挙げ、8強に進出した宮崎県の日南学園。
当時、チームのエースを務めていたのは、当時新記録となる、甲子園史上最速の154キロを記録した、寺原隼人選手である。
寺原選手は、小学3年時から野球を始めると、投手としての才能を発揮していき、中学野球部では、県大会優勝へと導いた。
日南学園に進学後は、軟式野球出身の1年生ながら130キロを超えるストレートを武器に春の九州大会でデビューを果たし、当時甲子園最速の松坂大輔選手を越えも期待されていた。
記録更新と、仲間との甲子園に出るという大きな目標を実現するために、1年時は徹底した下半身強化と、フォームの修正に取り組み、2年時にはメンタル面を中心に鍛えていった。
しかし、寺原選手の急速な成長に捕手がついていけず、バッテリーミスが増え、チームは甲子園へ簡単にはたどり着けずにいた。
それでも、共に戦う仲間を責めることをせず、自身の投球に磨きをかける努力を続け、最後の夏には、県大会でノーヒットノーランを記録するなどの活躍で、チームを甲子園へと導いた。
甲子園では、体調不良などに苦しめられるも、2回戦で甲子園最速記録を更新し、チームのベスト8入りに大きく貢献したのであった。