かつて無名の国士舘を、全国常連校へと育て上げた永田昌弘監督は、大学野球の指導者へと転向するも、チームが低迷しつつあったことから、再び指揮を執ることとなった。
10年離れたチームは、国士舘という強豪の看板に甘え、努力に対して消極的な選手や、自らの力に過信する選手も少なくなかった。
その一方で、かつて全国制覇を狙っていたチームは、長年甲子園出場から遠ざかっていたことから、甲子園を夢と考え、出場することが目標になっていた。
自身の力には過信するほど、自信が持てているが、甲子園を考えると怖気付いたり、思い切りがなくなるなど、気持ちの弱さが目立っていた。
そんなチーム状態に再就任した永田監督は、厳しい言葉や指導で、選手たちに現在の自分たちの力量を分からすことからスタートしていった。
公式戦では勝てていない、勝負所で弱さが出るのは、気持ちや努力が足りていないということを、事細かに伝えていった。
日々のグラウンドでは、高飛車な練習態度や、辻褄合わせの努力など、甲子園というものを軽視した動きがあれば、容赦なく叱責し、徹底した意識改革に取り組んだ。
また、選手たちを突き放してばかりでは、モチベーションを高められないとして、長所に目をつけ、その部分を評価してやる気を維持することも行った。
高校野球だけでなく、大学野球での指導実績も持つ永田監督の言葉には説得力があり、選手たちは、辛さや苦しさの中でも、僅かな喜びをエネルギーに力をつけていった。
再就任から3年でセンバツ出場を果たし、翌年も出場を確定させるなど、国士舘の復活に大きく貢献した永田監督の采配に、今後も目が離せない。