「納得できるボールが投げられるのなら、この試合で潰れても構わない」/ 東海大山形 藤原安弘選手
1985年の夏の甲子園に出場するも、初戦で22点差をつけられ大敗を喫した、東海大山形。 当時、チームの4番でエースという大役を担っていたのは、1年時から投打に渡る活躍を見せていた、藤原安弘選手である。
1985年の夏の甲子園に出場するも、初戦で22点差をつけられ大敗を喫した、東海大山形。 当時、チームの4番でエースという大役を担っていたのは、1年時から投打に渡る活躍を見せていた、藤原安弘選手である。
「勝ちに不思議な勝ちあり、負けに不思議な負けなし」という言葉があるように、高校野球にも、勝つための絶対条件はないが、負ける時は何かしら理由がある。
野球というスポーツは、記録に残らないものを含めた、ミスがつきものであることから、相手よりミスを少なくできれば、勝利につながるという考え方がある。 そんな理論を指導の軸として、失敗の仕方にもこだわりを持ち、山形県の鶴岡東を … “「アウトのなり方でも相手にプレッシャーを与えられる」/ 鶴岡東 佐藤俊監督” の続きを読む
平成に入り幾度も甲子園の決勝まで勝ち進み存在感を示している東北勢。 東北の悲願の全国制覇は着実に近づいていると誰もが感じている。 そんな東北勢で密かに力をつけているのが、山形県勢だ。 かつて、東海大山形がPL学園に大敗し … “「歴史を俺たちが変えよう」/ 日大山形 荒木準也監督” の続きを読む