「小さなことを大切にしていかないと、頂点には立てない」/ 愛工大名電 鈴木一朗選手

1990年の夏の甲子園から2季連続で甲子園出場を果たした、愛知県の愛工大名電

当時、チームの打の中軸を担っていたのは、高校通算19本塁打、269安打を筆頭に数々の実績を残した、鈴木一朗選手である。

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鈴木選手は、放課後毎日行っていた父親との練習で力をつけると、通い詰めていたバッティングセンターでは、3年生ながら100キロの速球を打つ打者にまで成長していった。

中学進学後も、エースと中軸を務め全国大会3位へと導くなどの成果を残したことで、愛知県内の多数の強豪から誘いを受けていた。

そんな中で、全国的にも有名な名門、愛工大名電に進学すると、1年時から上位打線のレギュラーを定着させ試合に出場すると、投手としても活躍するようになっていった。

監督やチームメイトだけでなく、対戦相手すらも認める能力の高さがありながらも、鈴木選手は常に結果に満足せず練習を続けていた。

また、試合では活躍していたが、理不尽なルールや下級生に厳しい寮生活にも、他の部員同様に取り組み、自らを特別扱いすることを嫌っていた。

迎えた甲子園では、9打席で僅か1安打という結果に終わったが、高校通算打率.501を記録し、特に3年時に残した7割を超える打率は、非公式ではあるが、球史に残るものとなった。

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