「最高にできることより、最低限これができるというものを作る」/ 静岡 栗林俊輔監督

大正15年の夏の甲子園制覇を成し遂げた東海地方を代表する名門静岡高校

昭和35年、48年の選手権では、甲子園準優勝を記録し、その後平成初期は甲子園から遠ざかったものの、平成27年のセンバツには8強入と、現在も躍進を続けている。

そんな伝統校を指揮しているのは、栗林俊輔監督である。

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「難しさが甲子園の面白さだと思っています」/ 佐野日大 松本弘司監督

平成の時代に春夏合わせて、10回の甲子園出場を記録した栃木県の佐野日大高校。

1997年の選手権ではベスト8、2014年のセンバツでは四強まで勝ち進むなどの実績を残している。

そんなチームを指揮していたのが、名将松本弘司監督である。

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「選手達を知るというところから始めています」/ 盛岡大附 関口清治監督

近年、甲子園や神宮大会で上位進出を続ける東北勢。

そんな東北勢で2010年代に入り甲子園初勝利から一気に強豪校として認識されているのが、岩手県の盛岡大附属高校である。

かつては、甲子園出場は県内トップレベルも、甲子園1勝の壁に9大会連続で阻まれていた。

しかし、2013年のセンバツで初勝利を挙げると甲子園での勝ち星も増え、2017年はセンバツ選手権共に8強まで進出するなど、活躍を続けている。

センバツ高校野球の記事はこちら。

そんなチームを指揮しているのは、関口清治監督である。

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「1つ悪いことしたら2ついいことをしよう」/おかやま山陽 堤尚彦監督

2017年の夏の甲子園に初出場を果たした、おかやま山陽高校。

続く秋の大会では、県3位ながらも中国大会で快進撃を続け決勝まで勝ち進むと、最大9点差を追いつき、10回にサヨナラで下関国際との乱打戦を制して初の神宮大会に出場した実績も持つ。

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「野球がうまい選手でも人間力がなければ活躍できない」/ 早鞆 大越基監督

1960年代の夏の甲子園に3度出場し、64年の初出場時には準優勝を成し遂げた実績を残している、山口県の早鞆高校。

2009年よりチームを指揮しているのは、選手時代に仙台育英のエースとして、夏の甲子園準優勝へとチームを導き、プロ野球のダイエーホークスでも活躍した経験も持つ、大越基監督である。

大越監督は、技術面の指導を一切することなく、「人間力」を育てることに力を入れ、日々選手たちを育てている。

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「甲子園で勝つことで生徒には野球ができる喜びを感じてほしい」/ 履正社 岡田龍生監督

平成最強とされている大阪桐蔭と共に、現在の大阪を引っ張る存在として注目を集めているのが、履正社高校である。

平成の甲子園では、2014年、17年センバツ準優勝が最高成績であったが、令和元年の選手権では圧倒的な打力を武器に初の全国制覇を成し遂げた。

また、2016年秋の神宮大会では、ライバル大阪桐蔭も成し遂げていない優勝を経験していることから、甲子園に出場する度、「優勝候補」と称されている。

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「ハンデを嘆いたところでなにも始まらない」/ 敦賀気比 東哲平監督

高校野球100年の年のセンバツ大会で、北陸勢の悲願である「甲子園優勝」を成し遂げた、福井県の敦賀気比高校。

1994年に甲子園初出場を果たすと、15年のセンバツ大会の制覇や春夏合わせて3度の四強進出など、全国大会でも上位進出を続けている。

そんなチームを指揮していて、北陸勢初の甲子園優勝監督となったのが、敦賀気比のOBでもある東哲平監督

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「感じることは野球の中で一番大事な要素です」/龍谷大平安 原田英彦監督

2018年に行われた100回の記念大会で史上2校目となる、甲子園通算100勝を達成した、京都の名門、龍谷大平安高校。

甲子園では平成終了時点で、春夏合わせて4度(選手権3回、センバツ1回)の全国制覇を記録し、センバツの出場回数は全国最多である。

そんなチームを指揮しているのは、小学生時代から平安の野球に憧れを抱き、平安野球を愛している原田英彦監督である。

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「ベンチ入り選手は入れなかった仲間達の分も全力でプレーする義務がある」/ 花巻東 佐々木洋監督

2009年のセンバツで東北勢の悲願へ後一歩まで近づいた岩手県の花巻東高校。

2009年はセンバツ準優勝、夏の選手権四強進出、13年にも夏の甲子園四強と、全国で数々の実績を残している。

そんなチームを強豪校へと育て上げたのが佐々木洋監督である。

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