「投手は『こいつのためなら』と、野手に思ってもらえないといけない」/ 松山商業 井上明選手

2年連続の出場となった、1969年の夏の甲子園で、決勝戦引き分け再試合を制して全国制覇を成し遂げた、愛媛県の松山商業

当時、チームのエースを務めていたのは、2年時から主力投手として活躍していた、井上明選手である。

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「優勝旗が見えかけてくるところから、真の闘いが始まる」/ 星稜 山本省吾選手

1995年の甲子園に、春夏連続で出場し、センバツでは8強進出、夏の選手権では準優勝を成し遂げた石川県の星稜高校。

当時、2年生ながら、チームのエースを務めていたのは、1年時から全日本選抜にも選ばれていたことから、大会注目投手でもあった、山本省吾選手である。

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「苦しみを乗り越えていかない限り、体の強さも精神的な強さも備わって来ない」/ 名古屋電気 工藤公康選手

1981年の夏の甲子園で、チーム最高成績となる、4強進出を果たした、愛知県の名古屋電気(現・愛工大名電)高校

当時チームのエースを務めていたのは、甲子園の2回戦でノーヒットノーランを成し遂げるなどの活躍を見せていた、工藤公康選手である。

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「甲子園は勝つ空気と流れを待っていたら絶対に勝てない場所」/ 横浜 愛甲猛選手

1980年の夏の甲子園で、チーム史上初となる、全国制覇を成し遂げた、神奈川県の横浜高校

当時、チームのエースを務めていたのは、1年時から主力投手として甲子園を経験していた、愛甲猛選手である。

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「神様は反省をさせるように失敗をさせてくれる」/ PL学園 清原和博選手

1983年の夏から85年の甲子園に5季連続出場を果たし、2度全国制覇2度準優勝を成し遂げた大阪府のPL学園

当時、チームの主軸を1年から務め、大会最多の甲子園通算13本塁打を放ったのが、清原和博選手である。

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「相手も同じ高校生なので、気持ちだけは負けないようにしたい」/ 千葉経大付 松本啓二朗選手

2004年の夏の甲子園で、初出場ながら強豪校を次々倒し、4強まで勝ち進んだ、千葉経大付属高校。

当時、チームのエースを務めていたのは、監督の息子であったことから、親子で全国制覇を目指す選手として注目されていた、松本啓二朗選手である。

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「負けてても最後まで投げきるっていうことに自分の思いは詰まっていた」/ 平安 川口知哉選手

1997年の甲子園に春夏連続出場し、夏の選手権では準優勝を成し遂げた、京都府の平安高校(現・龍谷大平安)

当時、チームのエースと4番、更には主将といった大役を務め、準優勝の立役者となったのは、川口知哉選手である。

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「ハンディと捉えるかメリットと考えるかは自分次第」/ 東海大甲府 郷州征宜選手

2004年、2年連続出場となった夏の甲子園で、4強進出を果たした、山梨県の東海大甲府高校。

当時、チームの代打の切り札として、甲子園の準決勝でタイムリーを放つなどの活躍を見せていたのは、郷州征宜選手である。

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「甲子園だけが人生のすべてではない」/ 広陵 上本博紀選手

2003年のセンバツ大会で、3度目の全国制覇を成し遂げた、広島県の広陵高校。

当時、2年生ながら先頭打者を務めていたのは、大会個人安打2位タイ記録となる、12安打を放つ活躍で、チームの優勝に貢献した、上本博紀選手である。

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