「無駄に思えることも必要だったんだと後から分かる時もあります」/ 智弁和歌山 中谷仁監督

平成最強と称されている大阪桐蔭と並んで、平成の時代に甲子園で春夏合わせて63の勝ち星を挙げている智弁和歌山

甲子園では、昭和63年の初出場後は5大会続けて初戦敗退というスタートであったが、6度目の挑戦で初勝利を挙げると、平成6年のセンバツで初優勝を果たし、9年、12年には選手権全国制覇を成し遂げている。

そんな名門、智弁和歌山を全国レベルの強豪に育て上げ、甲子園最多勝利監督の記録を残した高嶋仁監督からバトンを引き継ぎ、平成30年の秋からチームを指揮しているのが、中谷仁監督である。

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中谷監督は、選手時代に智弁和歌山のキャプテンとして全国制覇へ導き、卒業後はプロ野球の世界でも活躍した実績を持っている。

名将高嶋監督の後継者ということもあり、世間からは注目を集め、プレッシャーと戦いながらも、新しい智弁和歌山の野球を作っている。

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練習だけでなく試合の選手起用や采配などは、高嶋監督の野球をベースにしているが、自身の高校時代に学んだことやプロの世界での経験談も伝えながらチーム作りを行なっている。

また、卒業後の次のステージで必要とされる選手を育てることも重視し、「人間的な部分の指導」にも力を入れている。

野球を通して、自分自身で考える習慣をつけさせ、思考力を鍛えさせながら、「結果」ではなく「結果」に対しての「プロセス」の重要性を伝えている。

そのため、練習では滅多に大声で指導することも、厳しい言葉で怒鳴ることもせず、「教えない教え」で、常に選手の考え方を見守りながら、自力で壁を乗り越えられる力を身につけさせている。

時には、野球というものだけに縛られるのではなく、他競技や他分野の講演を聞かせたり、映像を視聴させて、「考え方」の幅を広げさせるなどのサポートをし、選手たちの「自立」も目標にしている。

野球」で全てを教えるのではなく、あらゆるものから「野球」のヒントを得て、育てていくのが、中谷監督スタイルである。

そして、選手たちが身につけた考え方や感性を活かすためにも、全体練習では監督や指導者の考えたメニューだけを取り入れず、選手たちからの提案があれば極力取り入れ、試行錯誤の機会を与えている。

初の采配となった平成最後のセンバツ大会では8強と、好スタートをきった中谷監督の今後の指導に目が離せない。

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