2009年の夏の甲子園で、相手チームの壮絶な追い上げを振り切り、史上最多となる7度目の全国制覇を成し遂げた、愛知県の名門、中京大中京。
当時、チームの主軸を務めていたのは、高校通算38本塁打を放ち、甲子園でも大会記録となる28塁打を記録するなどの活躍を見せていた、河合完治選手である。
河合選手は、小学3年から野球を始めると、中学時代には全国大会出場や、日本代表に選出され、世界大会優勝に貢献するなど、数々の実績を残していた。
そのため、名門、中京大中京に進学後も1年秋からレギュラーとして試合に出場し、全国からも注目を集める存在であった。
しかし、最終学年となった2年秋以降は、個人としても、チームとしても期待されていたこともあり、プレッシャーのかかったセンバツでは、準々決勝で、9回2死から逆転負けを喫することとなった。
春の負けから、周囲の「日本一」の声やに惑わされたり、自身の力に過信することないよう、チームとしても個人としても「精神力」を鍛えることに徹し、練習一つ一つを無駄にせずに取り組んでいった。
迎えた、最後の夏は甲子園の2回戦で、サヨナラ本塁打を放つ活躍などで、チームを43年ぶりの決勝へ導く立役者となった。
そして、9回2死から驚異の粘りを見せる日本文理の流れを止める、ウイニングボールをグラブにおさめ、全国制覇を勝ち取ったのであった。