1973年の甲子園に春夏連続出場し、センバツでは準優勝、夏の選手権では優勝を成し遂げた、広島商業高校。
当時、主将を務めていたのは、打者としては上位を担い、守備では遊撃手として攻守にわたる活躍で、チームを引っ張っていた金光興二選手である。
金光選手が入学した際のチームメイトには、スター選手が不在で、監督からは「広島商業史上最弱チーム」と評されるほどであった。
そこで、主将となった金光選手を中心に、広島商業の伝統であるバントや盗塁を活用した機動力野球を目標にし、チーム力で戦うスタイルを目指すことを決めた。
攻撃の軸となるバント練習では、1球で決められるように、罰走やヤジなどでプレッシャーをかけて、技術だけでなくメンタルも鍛えた。
また、冬の雪の降るグラウンドを裸足で走っり、腹筋を鍛えるために、腹に石を置きハンマーで叩き割るなど、どんな状況でも心が乱れないような訓練を重ねていった。
迎えた、センバツ大会では準決勝まで無失点で、大会ナンバーワン投手と称されていた江川卓選手を、持ち前の機動力野球で攻略し、準優勝を成し遂げた。
続く夏は、決勝戦でサヨナラスクイズをし、全国制覇を決めるなど、日頃の練習の成果で頂点を掴んだのであった。