「一番大事なのは選手が自立すること」/ 東邦 森田泰弘監督

全国最多センバツ大会優勝回数を筆頭に、甲子園で数々の名勝負や記録を残してきた愛知の名門、東邦高校の伝統のバトンを引き継ぎ、チームの更なる進化に貢献した森田泰弘監督

監督期間の約15年間は、球史に残る大逆転劇を演じたり、監督生活最後となったセンバツ大会での全国制覇を成し遂げるなど、輝かしい実績を残したが、決して簡単な道のりではなかった。

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2004年の就任時、前監督の阪口慶三氏全国制覇を経験し、全国的にも有名な名将であったため、その後継者としての期待値と注目度は、非常に高かった。

そんなプレッシャーに加え、選手獲得で苦戦を強いられたり、全国屈指の激戦区である県大会を勝ち抜くことの難しさに直面するなどし、甲子園から遠ざかる時期も続いた。

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何かを変えなければ、チームは勝てないと考えた 森田監督は、伝統の重みが強すぎると感じ、敢えて名門の伝統の見直しを始めた。

キビキビとした動きや、メリハリのあるプレーなど、古くからチームに残る素晴らしい伝統は維持する反面、堅苦しすぎる上下関係や、全く笑顔のないグラウンドでの練習など、必要ないと感じたものは排除していった。

また、選手たちにも自身が経験し無駄と感じたり、理不尽なものと思えば、積極的に伝統を変えるように指示し、良いと思うものと新たに作りたいと思うもののみをチームに残させた。

そして、森田監督も「自主性」という新たな伝統を作るために、口酸っぱく「自立」を意識させ、指示待ちからの脱却を目指した。

練習の細かな部分を数値化し、目標を設定させると、それに向かって必要な努力や課題を見つけ、考えさせると、実行する選手をサポートし続けていった。

新たな伝統「自主性」を残すと共に、最後のセンバツを優勝で飾り、チームの歴史を作った森田監督の指導を受け継いだ東邦は、6度目の全国制覇に向けて、挑戦を続けている。

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