教育と勝利という両方の目的を指導の根本とし、伝統のある名門の新しい歴史を作り続けている、北海高校の平川敦監督。
1998年に母校の指揮を託され、翌年には甲子園出場を果たすも、以降は黄金時代を築きつつあった駒大苫小牧の壁に阻まれ、甲子園だけでなく、道内を勝ち抜くことすら厳しい状態に直面した。
夏の甲子園出場回数全国最多を誇り、創部年の歴史のある名門故に、OBからの声も厳しく、勝てなくなるにつれ、プレッシャーとも戦わなければならなくなった。
それでも、就任当初に掲げた「野球の勝利と教育をする」という目標をブレることなく貫き、試行錯誤を行いながら、指導を続けていった。
平川監督が最初に取り組んだのは、学校や家庭などを含んだ日常生活を通して「素の自分」を鍛えることであった。
当時のチームでは、監督やチームメイトが常にいるグラウンド内では、できていないことに対して、指摘をしたり、互いに注意をし合うことができていたが、グラウンドを出れば、自然と意識が下がってしまっていた。
日常生活の方が野球をする時間より長いため、試合になれば日頃の態度が勝負に影響することを考慮し、裏表のない人間であるように伝え、グラウンド内の自分を日常生活でも表現することを求めた。
学校生活では、授業をはじめ、掃除や人とのコミュニケーションなど、野球をしたい選手たちにとっては、苦手なものや嫌いなことも多いが、そこで培われる我慢強さや乗り越える精神力こそが、野球に生きてくると、指導している。
そんな些細な苦歴ではあるが、日々の積み重ねが試合の土壇場や逆境でも落ち着いたプレーができるような精神力を支えているのだ。