「『2番で良かった』、という人生を送っていこう」/ 広陵 土生翔平選手

2007年の夏の甲子園で、後のプロ野球選手4人を擁したメンバーで、準優勝を成し遂げた、広島の広陵高校。

当時主将として、広陵高校を40年ぶりに夏の決勝へと導いたのが、後にプロ入りを果たした、土生翔平選手である。

広陵高校の記事はこちら。

この年の広陵は、センバツでは8強に進出し、選手権では初戦で前年準優勝の駒大苫小牧を、準決勝ではセンバツ王者の常葉菊川を接戦で敗るなど、下馬評通りの活躍を続けていた。

しかし、決勝では無名ながらも、甲子園初勝利から躍進を続ける、公立の佐賀北高校の勢いにのまれ、8回に逆転満塁ホームランをゆるし、惜しくも敗れてしまった。

特待生問題が指摘されていたこともあり、公立高校を後押しする声援が多かったことや、公立贔屓にも見える判定があったことは確かである。

そのため、広陵中井監督は、選手たちの気持ちを代弁するように、異例の抗議を行い、大きな話題となった。

しかし、広陵の選手たちは、広島に戻った際には、不満や愚痴を嘆くことを一切せず、全員でミーティングを行い、「2位」という悔しさの経験を生かして、その後の人生に活かすことを誓い合っていた。

負けからのスタートをきった、広陵の選手たちは、それぞれの分野で現在も活躍し、あの夏を誇れる結果を残している。

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