1996年の夏の甲子園で、3度目となる準優勝を果たした熊本工業高校。
当時、チームの下位打線ながら走攻守三拍子揃ったプレースタイルで、活躍を見せていたのが、星子崇選手である。
星子選手は、部員100人を超える名門、熊本工業に入学すると、身長180センチ、50メートル走5.8の瞬足を武器に、レギュラーの座をの掴んだ。
その一方で、自他ともに認めるほど、監督の指示を聞かなかい自分本位のプレーをしていたことで、監督からは信頼を得られず、試合に出場するも打順は徐々に下げられていった。
夏の甲子園では決勝進出に貢献し、熊本工業としても、熊本県勢としても初優勝が期待されていたことで、チームのためのプレーを心がけて臨むこととなった。
決勝では、延長10回の裏に先頭打者として二塁打を放ち、一死満塁のサヨナラのチャンスを作り、タッチアップで優勝を狙い全力疾走でホームへ向かうも、相手の好返球に阻まれた。
その裏に勝ち越しを許し、悲願の全国制覇を果たせなかったため、星子選手は、完璧な走塁を見せたにも関わらず、 周囲や一部のファンから批判を浴びることもあった。
それでも、球史に残る名場面を経験でき、敗戦したことは、マイナスではなく誇りであると捉え、その後の人生の支えとなっている。